これは以前にも軽く触れた話ですが、改めて”先生”という
言葉についてちゃんと考えてみましょう。
よく行政書士の同期同士で「○○先生」と呼び合っているのを
聞きます。
入りたてのときに、先輩の行政書士に対して「○○先生」と
呼ぶのはまだわかります。
私は”先生”と付けて呼ぶ人を選んでいます。
行政書士というだけで”先生”をつけません。
簡単に言うと”尊敬するに値する”人を先生と呼びます。
じゃぁどういう人が”尊敬に値するか”というと、
”行政書士として尊敬に値する”ということです。
人格的にいくら素晴らしい人でも、行政書士を本業として
やっていない人を私は”先生”と呼びません。
同年代の人で、業務的にあまり絡まない人で、かつ
仲良くしたいという人は上記の条件に合致しても、
あえて”先生”と呼ばずに”さん”付けにする場合もあります。
同じ業務で自分よりも先にやっている人、つまり、
”先に生きている”人は原則”先生”と呼びます。
”先生”と呼ぶのをやめてくれ、という方は”さん”付けに
しますけどね。
まだこの世界で”生きていけていない”人(つまり家族を養う
ことができるほど実績がない人)は何年先輩でも、”先に
生きている”とは言わないわけです。
自分の支部を見てください。
何年先輩でも業務をまったくやっていない人がたくさんいるでしょう?
そのような人達に対しては”先生”と呼ばない方がいいし、
私は逆に失礼だと思います。
皮肉ですよ、それは。
ものすごく字がヘタな人に「字、上手ですね」というのと同じです。
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ここで、”先生”という言葉についていろいろと考えてみましょう。
”先生”には何種類かがあると思うのです。
学校の先生はごくごく一般的な”先生”ですよね。
なんで”先生”と呼ばれるかというと、子どもにものを教える
からですね。
塾の講師も”先生”と呼ばれます。
なんの資格がなくてもセミナーの講師は”先生”と呼ばれます。
これは”先に生きている”ということとは関係なく、ものを
教える立場にいる人を先生と呼ぶということです。
次に時代劇の用心棒などの”先生”もあります。
悪者が正義の味方にやられそうになったときに、
「せんせい、せんせい~~いい!!」
と言うと、奥の方から強そうな用心棒が出てきます。
このときの”先生”は”守ってくれる人”というものです。
また、お医者さんも”先生”と呼ばれますね。
これは用心棒のように「人を守る」という感じもありますが、
100%同位ではないような気がしますね。
「人を助ける」というような意味合いでの”先生”といえる
かもしれませんね。
では、我々行政書士はどういった意味での”先生”なのでしょうか?
お客様に対して、なにか勉強を講義形式で教えるということは
あまりないですよね。
許可申請書を作成するときは、なにかを教えるわけでもなく、
守るわけでもなく、助けるわけでもない。
「その人ができないことをかわりにやる」
それだけなのかもしれません。
ということは厳しく見れば、その時点では”先生”と呼ばれるに
値しないかもしれません。
私は医者と用心棒の”先生”を兼ね備えた性質のものが、
行政書士である”先生”なのではないかと思うのです。
要するに、行政問題にて困った時に助けてくれる能力がないと
お客様から”先生”と呼ばれる資格がないということです。
まぁ民事の場合はお客様の法的レベルがゼロに等しいので、
ほんの少し新人が勉強しただけでも、それらしくふるまえる
のですが、本当はそれが逆に怖いのです。
法人設立についても基本的にはお客様のさまざまな知識が
ほとんどゼロに等しいはずです。
反面、許認可のお客様は基本的には会社の社長ですから、
我々よりも何倍も修羅場をくぐっています。
人生経験ということで言うとかなり先輩なわけです。
そのような人を我々はちゃんと守れるようにならなければ
ならないわけです。
じゃぁ守るためにはどうすればいいんでしょう?
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答えは簡単。
我々が強くなるしかないのです。
法律家としても行政の現場知識の専門家としても、そして
人間としても、です。
お客様が困った時に、大きな器でその問題を受けとめて、
机上の空論、簡単な書籍レベルのノウハウのあてはめなどでは
なく、人間力で問題に対処する。
いかにノウハウを適用するか、ではなく。
その結果の解決手法として法律・ノウハウを適用する。
そういう人間味のある方法のみがお客様を本当の意味で救える
のだと私は信じます。
役所と同じ杓子定規なことを我々が言っているようでは、
まったくお話になりません。
お客様はそんなことを望んでいません。
違反がダメなことはお客様だってわかっているのです。
でもそれをやらざるをえない(と思い込んでいる)状況が
あるのです。
そのときに、「社長、大変ですよね。そんなの守るの無理
ですよね」と完全にお客様の側についてしまうのも、
愚の骨頂です。
我々はその答えのないところをどのように改善方向に持って
行くか、すなわち、そのような状況でどのように「社長に
対して、社長を社長という生き物に変化させ、対応させる
ことができるか」そういうところが重要になるのです。
我々が愛情を持って厳しく接しなくて誰が方向づけてあげれば
いいのですか?
結局、その会社の主は社長です。
刹那的に表面的に対処したからといって、その行為は根本的解決に
なりません。
社長を社長という生き物にして、はじめて会社は改善していく
のです。
民事だって性質は似ています。
表面的に内容証明を送ったりすることなんて、誰だってできる
のです。
本にやり方が書いてあるのですから。
そのような技術的、金銭的な問題ではなく、民事はお客様の
心を救わないといけない、と私は考えます。
許認可のように答えがある問題ではないのです。
いかに自分の人間性でその人の心を救うかが問われるのです。
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あなたに問います。
「あなたにその仕事をやるに値する人間性は伴っていると胸を張って
お天道様に大きな声で言うことができますか?」
自分自身に問うてみてください。
そして、自分はその業務で”先生”と呼ばれる資格・力があるのか、
自分自身に問うてみてください。
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ライフを素晴らしいものになる方向付けのお手伝いをさせて
いただければ幸いです。